太田建設 株式会社

社長物語

生まれと学生時代

生まれと学生時代

私は1961年4月22日、神奈川県川崎市で太田家の長男として生まれました。
なぜ川崎市だったのか?
それは「地元米沢で、土建業を始めたい」という父には、夢を叶える為の資金づくりという目標があったからです。
夢を叶えるためとはいえ、住む場所もなく、ふろしき片手にまだ赤ん坊だった姉をおんぶして上京した母は、どれほど不安だったか私には想像すらできません。

父は、朝早くから夜遅くまで休みも取らず働き続け、わずか3年で起業する為の資金をつくり、米沢に戻りました。

私の小さい頃は、毎日日が暮れるまで上郷の野山を走り回っていました。
おかげで身体は丈夫で、足の速さはまわりの誰にも負けない少しやんちゃな少年時代を送っていました。
その足の速さを生かし、中学、高校と陸上(幅跳び、三段跳び)一筋の6年間を過ごしました。
名門日大山形高校陸上部では、先輩後輩のけじめを叩き込まれ、人間形成の場としてその後の私の人生にとてもプラスになっています。
大学は附属の特権を生かし、日本大学生産工学部に入学し、そこではバイトや遊び、そして少しの勉強に青春の全てを注ぎ込んでいました(笑)

修業時代

「他人の飯を食う」ということで、福島県でナンバーワンの建設会社である佐藤工業で2年半ほど土木の現場監督としてお世話になりました。

配属されたのは、山間部のほ場整備(田んぼをつくる)事業でした。
学生気分の抜けないままの自分には、現場での仕事はとても厳しく、大変なものでしたが、厳しさの中に、思いやりのある先輩に指導いただいたお陰で、2年後には現場を一人で担当できるようになりました。
ここでの2年半の現場経験が建設業での基本中の基本である安全管理そして品質管理に十分に役に立っています。

地元米沢に戻って

2年半の修業を終え、無事に米沢に戻りました。この頃はまだバブル景気に沸いていました。
この時代の弊社は、主に公共事業の土木工事が大半で、建築はまだまだ少なく、住宅となると数えるほどしかしていませんでした。

入社から3、4年経った頃、ある住宅の引渡しに同行しました。
そこでご主人と奥様が涙を流しながら感謝の気持ちを私に伝えてくださいました。
この時私は、今まで感じたことのない喜び、そして感動をいただきました。
このことがきっかけとなり、「もっと多くの人に喜んでもらいたい」と強く思うようになり、一般住宅に力を入れるようになりました。

住宅の営業経験がない私は、様々なセミナーや勉強会に数多く参加し、数十棟の住宅を手掛ける工務店の社長さんと親しくさせていただき、沢山の刺激を受けました。

地元米沢に戻って

家を建てられるほとんどの方は初めての家づくりです。初めての家づくりには沢山の不安や悩みがあるはずです。
その不安や悩みを解消するために、正しい家づくりの順番を知っていただきたいのです。
そんな思いで毎月1回のペースで見学会を開催しています。
お陰様で毎月の見学会には平均60組を超えるお客様にお越しいただいています。
見学会では、お施主様のご厚意により、実際に住まわれる家をご覧いただいています。
住宅展示場の豪華絢爛なモデルハウスではなく、これから実際に住まわれる等身大の家を見ていただいた方が何十倍も参考になるはずです。
そして社員の対応、考え方を確かめてください。
勿論、社長の私も見学会会場にいますので、私の想いも聞いてください。
私はこの山形で家づくりをお考えの方に家づくりに絶対成功していただきたいのです。
全力でお手伝いいたします!